1978年結成のロックバンド『シーナ&ザ・ロケッツ(SHEENA & THE ROKKETS)』等で活動のギタリスト・鮎川誠さん(あゆかわ・まこと)が、29日に急死していたことが明らかになりました。74歳でした。
鮎川誠さんの訃報は所属事務所『RokketDuction(ロケットダクション)』が伝え、29日午前5時47分に亡くなったとし、死因は「膵臓(すいぞう)ガン」だったと明かしています。
事務所の発表によると、昨年5月にすい臓ガンが発覚し、医師からは「余命5ヶ月ほど」と宣告されたそうなのですが、本人の強い希望から病気を公表せずに音楽活動を続け、ライブの合間に治療を受けながら全国ツアーを続行したとしています。
鮎川誠さんは生前「自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」と語り、大きな病気を患いながらもライブに全身全霊を注ぎ、昨年のライブ本数はここ数年で最多だったといいます。
昨年末には腰に激しい痛みを訴え、一時的に入院したそうですが、この1ヶ月はライブへの復帰を目指して自宅療養し、亡くなる直前まで音楽制作に没頭していたといい、「最期の瞬間までロックに身を捧げた生涯でした。鮎川誠、そしてシーナ&ロケッツを愛してくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。心からありがとうございました。」としています。
鮎川誠さんの通夜・葬儀は、長年暮らしていたという東京・下北沢にて「ロック葬」で送るとし、通夜は2月4日17時から『森巖寺 開山堂』で執り行うと報告し、喪主はモデル・デザイナーの長女・鮎川陽子さん(46)が務めます。
そして、鮎川誠さんの突然の訃報にネット上では、
などの声が上がっています。
鮎川誠さんはアメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、小学生のころからギターを始め、九州大学に在学中の1970年にブルースロックバンド『サンハウス』を結成し、同バンドは九州のロックシーンを大きく盛り上げた“めんたいロック”の始祖と言われ、『ルースターズ』、俳優・石橋凌さんがボーカルを務めていた『ARB』、陣内孝則さんがボーカルの『ザ・ロッカーズ』など、多くのバンドに影響を与えました。
サンハウスの代表曲『レモンティー』
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1978年にサンハウスが一度目の解散後は、1976年に結婚した妻・シーナさん(本名=鮎川悦子さん 享年61)と共に上京して『シーナ&ザ・ロケッツ』を結成、同年には『YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)』のライブに参加するなどし、翌年にYMO・細野晴臣さんがプロデュースでアルバムをリリースし、収録曲『ユー・メイ・ドリーム(You May Dream)』が、『JAL(日本航空)』のCM曲に使用されたことでバンドの人気・知名度が急上昇しました。
シーナ&ザ・ロケッツ『ユー・メイ・ドリーム』パフォーマンス映像
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その後は日本だけでなく、アメリカなど海外のレコード会社からも楽曲をリリースし国内外で長年活動を続ける中で、2015年2月にシーナさんが子宮頸ガンで亡くなりました。
シーナさんは、2014年7月に末期の子宮頸ガンが発覚後も公表することなく活動を続け、闘病中にもニューアルバムをリリースしたりライブに出演するなど、亡くなる直前まで精力的に活動していました。
シーナさんが亡くなって以降も『シーナ&ザ・ロケッツ』は活動を継続し、次女の鮎川純子さんがマネージャーとして支え、三女の知慧子さん(別名=LUCY MiRROR)はゲストボーカルとしてバンドに参加する中で、鮎川誠さんは昨年末に急病を理由に、例年出演していた年越しライブイベント『50th New Year Rock Festival 2022-2023』への出演を中止し、年明けのライブも中止するなどしていました。
これにファン等からは心配の声が上がっていた中で突然訃報が伝えられ、驚きや悲しみの声が上がっています。
鮎川誠さんもシーナさんと同じくガンを患いながら、闘病を隠してステージに立ち続けたというのは熱いロック魂を感じますし、生涯をロックに捧げた生き様は素晴らしいの一言です。
なお、2月5日深夜には「ドキュメンタリー『解放区』」(TBS系 日曜24時58分)で、鮎川誠さんの特集回が放送予定となっており、鮎川さんは番組内で、「ガキの頃に出会って夢中になった音楽のそばにずっとおれてよかったし、好きなことを変わらずにできることがうれしい。これからもそんな俺をシーナに見せていきたい」と語っているそうです。
個人的に番組の放送を楽しみしていたのですが、まさか番組の放送前に亡くなってしまうとは思いもせず、非常に残念な気持ちでいっぱいです。
鮎川誠さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。