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クリスティン殺害の犯人はローリー・ベンベネクで脱獄!動機は!?1981ウィスコンシン州ミルウォーキー | 令和の知恵袋


クリスティン・シュルツは1981年5月、ウィスコンシン州ミルウォーキーで何者かによって殺害されます。

事件発生から1ヶ月後。クリスティン殺害の容疑で身柄拘束されたのはローリー・ベンベネクという女性でしたが動機は!?脱獄後は!?

クリスティン殺害の犯人はローリー・ベンベネクで脱獄!動機は!?1981ウィスコンシン州ミルウォーキー

1981年5月21日深夜。

米ウィスコンシン州でクリスティン・シュルツは自宅で手を縛られ至近距離で背後から銃で撃たれ殺害された。

物音を聞いて起きた2人の息子は犯人を目撃、「赤茶色の髪をした男だった」と証言した。

警察が駆けつけたとき、部屋に荒らされた様子が無いことから、怨恨の線で捜査することになった。

容疑者(推定)として浮上したのは、被害者の元夫で警察官のエルフレッド・シュルツ。

エルフレッドとクリスティンは半年前に離婚し、エルフレッドはすでにローレンシア(後に「ローリーと改名)・ベンベネクという元同僚の女性と再婚していた。

しかしエルフレッドには事件当夜、勤務中でアリバイがあったっため、次に疑われたのが彼の妻、ローリー・ベンベネク。

ローリー・ベンベネクは警官になる前はモデルの経験も有り、美人で評判だった女性。

夫エルフレッドが別れた妻のクリスティンに養育費を払うことを不満を持っていたことが殺害の動機とされた。

ローリー・ベンベネクは夫のエルフレッドが持っていたクリスティーンの家のスペアキーを使って忍び込み、クリスティンを殺害したのだと警察は考えた。

警察はエルフレッドを取り調べると同時に、ローリー・ベンベネクと暮している家も家宅捜索すると変装に使われたと思われるカツラも排水溝から見つかった。

ローリー・ベンベネクはその日は家に一人でいたと主張したが、アリバイを証明できる第三者はいなかった。

ひと月後の6月24日、ローリー・ベンベネクは身柄拘束された。警察官の妻が人を殺める行為事件で身柄拘束、という話題はマスコミの格好のネタになり、ローリー・ベンベネクは一躍時の人となった。

裁判が始まると、ローリー・ベンベネクは派手なファッションとメイクで法廷に現れ、無罪を主張。

その姿にアメリカ中が不謹慎だと反感を覚え、マスコミは冷徹な人を殺める行為者と書きたてた。

裁判では自宅のローンについて揉めており、クリスティンは生前シュルツには支払いを続けるべきだと主張していた。

しかも、シュルツが所持していた銃が、クリスティン殺害時に使用された銃と同じであると判明する。

警官時代の同僚ジュディー・ゼスが「報酬をあげるからクリスティンを殺す気ないか」と言われたと証言しローリーは不利に。

そして、11日間の裁判の末、「犯人は男」という目撃証言にもかかわらず、ローリー・ベンベネクは第一級人を殺める行為罪で有罪。仮釈放無しの終身刑となった。

ただ世論は常にベンベネックに対して同情的であった。

それは判決後、シュルツがすぐにベンベネックと離婚し、ベンベネックの悪口を言い始めたからであった。

そのままローリー・ベンベネクはタイチーダ刑務所に収監されたが収監されてからも無実を訴え続けたローリー・ベンベネク。

そこには彼女なりの根拠があった。それは、ある事実を隠そうとする警察が、彼女を犯人に仕立てあげたということ。

それはローリーが警察に勤めていた頃、上司たちの公金の不正使用や横領に気づき解雇されてしまっていたからです。

すると夫シュルツも「妻が殺したと思う」と言い出し、若い女性とフロリダに引っ越してしまう。だが後に、新たな事実が明らかになる。

法廷で証言した友人ジュディが「証言はウソだった。警察に強要された」と言い、凶器とされた銃は埃を被っていて、使われた形跡がないことが分かった。

また、ベンベネックは刑務所では模範囚として過ごし、多くの囚人達から大変慕われた。

2度に渡り控訴したが認められないまま8年が経過。

何度も再審請求をしたが受け入れられない中、彼女は刑務所内で知り合ったドミニクという男に助けを求め脱獄を計画し始めた。

ドミニク・ググリアト(当時34歳)はローリー・ベンベネクが刑務所で仲良くなった女性服役囚の兄で、離婚したばかりだった。

手紙を書いたり電話で話したりするうちに親しくなり、面会して話すようにもなった。

ドミニクは無実を訴えるローリー・ベンベネクを信じるようになり、脱獄を助けると提案。

ローリー・ベンベネクが脱獄を計画し、ドミニクが逃亡後の手立てを考えた。

脱獄計画が進む中、次の課題はどうやって刑務所の外に出るか、だった。

そんなある日、許可を得ればいつでも洗濯ができるランドリー室の窓に鉄格子がないことを発見する。刑務所の外装工事の最中でそこだけ開けっぱなしの状態だったのだ。工事はいつまでもやっている訳ではない。やるなら、今しかない。

1990年7月15日、ローリー・ベンベネクは脱獄を決行。

ローリー・ベンベネクは偽の出生証明書も用意し洗濯室の窓の隙間に体をねじ込み外に出た。

狭い窓の隙間から出ると一気に走りだし林を抜け、有刺鉄線の巻かれた3メートルのフェンスをよじ登って逃げた。

待ち合わせてあったドミニクが運転する車に乗り2人はカナダへ向かった。

カナダの検問所で計画通り新婚夫婦を装い、2人はカナダへ入国。

そして、ローリー・ベンベネクの脱獄は新聞で大きく報道された。

「Run Bambi Run! 『逃げろ!バンビ (ベンベネックのニュクネーム) 、逃げるんだ!)』」

というステッカーまで販売されるほどであった。

脱獄したローリー・ベンベネクは弁護士の協力を得て、さらに事件の真相を調べ始めた。

すると、裁判でウソの証言をした元同僚ジュディーの元ボーイフレンドのフレデリック・ホレンバーガーが事件の後窃盗で捕まり、刑務所の中でクリスティンを殺害したことを自慢していたことを知る。

さらに、その殺しを依頼したのはクリスティンの元夫のエルフレッドだと話していたというのだ。

ベンベネックはカナダに渡り、オンタリオ州サンダー・ベイに3ヶ月潜伏した。

その後、カナダ政府に対して亡命を要求した。

「私は本国アメリカでは公正な裁判を受ける事が出来ません」

このベンベネックの要求は受け入られる事が出来なかったが、カナダ政府はアメリカ政府に裁判の問題性を指摘して引き渡した。

脱獄の手助けをしたドミニクも身柄拘束され、懲役1年の実刑を受けた。

カナダ政府から指摘されたアメリカ政府は、ベンベネックを第二級人を殺める行為に減刑し、刑期を10年としたが、事件からすでに10年経過しているという理由で釈放された。

しかし、この脱獄・再身柄拘束がきっかけで事件は改めて検証されることになった。すると、新たな事実が次々と明るみになる。

被害者クリスティンの体からエルフレッドではない男性の体液が発見されていたこと。事件の日の夜にホレンバーガーが現場近くで目撃されていたこと。

フレデリック・ホレンバーガーとは事件が会った日、エルフレッドが会っていた男とでフレデリックは多くの犯罪歴を持つ男でジュディの元彼でした。

フレデリックは事件の後、窃盗で身柄拘束され刑務所ではクリスティンを殺したのは自分だと自慢気に話していました。しかも依頼してきたのはエルフレッドだというのです。

さらに、ホレンバーガーは刑務所内で謎の自殺していたこと。凶器とされたエルフレッドの銃には使われた形跡がなく、被害者の体に残った弾とは一致していなかったということ。

殺害現場で発見された毛髪も発見されたカツラの毛と一致していなかったということ。

これらの報道を受け、国内ではローリー・ベンベネクの釈放を求める運動が起こり、疑惑の証拠隠しをしたとされる警察に抗議と事件解明を求める声は高まった。

そんなある日、ローリー・ベンベネクは検事たちとの話し合いの場に呼びだされた。

そして、無実を訴えるのをやめることを条件に終身刑を懲役20年に引き下げ、さらに10年の仮釈放という司法取引を持ちかけられた。

刑が執行されて、すでに10年がたっているので、これをのめば、ただちに仮釈放となり自由の身となる。ローリー・ベンベネクはこれに応じ釈放された。

事件の真相を追求する裁判は、もう開かれない。逃亡を手助けしたドミニクとも、二度と会う事はなく、その後のローリー・ベンベネクは支援者に励まされながらも、孤独な日々を送っていた。

やがてメディアも国民も彼女のことを忘れた頃、2010年11月20日、オレゴン州ポートランドで、肝臓癌の為、死去。

享年52歳、波瀾に満ちたその生涯を終えた。

クリスティン殺害の犯人はローリー・ベンベネクで脱獄!動機は!?ネットの口コミは!?



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