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発心集 現代語訳|太子の御墓に、覚能と云ふ聖ありけり | 令和の知恵袋


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発心集の現代語訳について

鴨長明 『発心集』 第7巻-5「発心集の太子の御墓に、覚能と云ふ聖ありけり。?常の営みにて・・・・・・・・・さすがに腹のあしきくせにて、ののしりけり。」までの現代語訳は!?

発心集 現代語訳|太子の御墓に、覚能と云ふ聖ありけり

太子の御墓に、覚能という高僧がいたとさ。音楽を好むこと、はんぱじゃなかった。昼も夜もやることといっては、板の端っこの余った切れ端で、みごとに琴だの琵琶だのの形に加工して、馬の尾の毛を弦がわりにかけて弾き鳴らし、竹を切って、笛の形に彫刻して、これを吹いては調子にのり、遊び戯むれて言うことには、「仏様たちが演奏なさる音楽の音色は、どんなにすばらしいであろうか」と想像して言って、感激の涙を落したとさ。

日々のルーティーンとして、こんなふうに作って置いていたので、この聖が生活している周辺には、作った楽器が散らかって、たくさん見えていたのを、たまたまガキンチョたちなんかが、ちょっと手にとって使ったりしているうちになくしたので、(子供の仕業だし、ほかにもいくらも楽器がある)とはいっても、やはり、腹が立って、大声で「このイタズラ小僧どもめ」とののしったとさ。

発心集 原文の一部|太子の御墓に、覚能と云ふ聖ありけり

太子の御墓に、覚能といふ聖ありけり。音楽を好むこと、世の常ならず。朝夕にいとなむこととては、板の端にて、をかしげに琴・琵琶の形(かた)を作りて、馬の尾をかけて弾き鳴らし、竹を切りて、笛の形に彫りて、これを吹きつつ興に入り、遊戯(ゆげ)していはく、「菩薩聖衆の楽の音、いかにめでたかるらん」と言ひて、涙を落しける。

常のいとなみにて、かくのみ作り置きたれば、居たるあたりには、うち散りて、多く見ゆるを、おのづから童(わらはべ)などの手ずさみに取り失ひければ。さすがに腹の悪しきくせにて、ののしりけり。中ごろ、才(ざえ)賢き博士ありけり。重き病を受けて、限りなる時、善知識来たりて、念仏勧むるに、さらに、ただ年ごろの余執なれば、心なほ風月にのみ染みて、いと思ひも入れぬさまなりければ、この僧、思ひはかりある人にやありけん、念仏の勧めをとどめて、とばかり、これが好む所のことをあひしらふ。

心ゆきて、「さも」と思へる気色を見て言ふやう、「さても、年ごろ多く秀句を作り、いみじき名文どもを書きとめ給へるに。『極楽の賦』といふものを書かで止(や)み給ひぬる。口惜しきことなり。世間の美景を捨てがたきこと多かり。まして、浄土の飾り、いかに風情多からん」と言ひ出だしたりけり。思ひしめたることなれわば、極楽の依法(えほふ)、ことごとく見るやうにおもかげに立ちて、心を進むる便りになりて、念仏し、思ひのごとくして終はりける。臨終の善知識は、よくよく心を知るべきことなり。

 

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