篠塚建次郎(しのづか けんじろう)は、世界ラリー選手権(WRC)とパリ・ダカール・ラリーで日本人初の優勝を果たしたラリードライバーです。1948年11月20日生まれ、2024年3月18日に亡くなりました。
1971年に三菱自動オートモービルに入社し、営業マンや整備工の傍らラリー競技を行いました。1986年からパリ・ダカール・ラリーに参戦し、1997年に日本人初の総合優勝を果たしました。1991年には世界ラリー選手権(WRC)のアイボリーコーストラリーで日本人初の優勝を果たし、翌年には連覇を達成しました。
2002年にセネガル・ダカール近隣のヨッフ市に「マム アラッサン ライ ド ヨッフ」小スクールを設立しました。2008年からはソーラーカーレースに参戦し、ソーラーカーと電気自動オートモービルにおいてギネス記録を樹立しています。